マサのまなゆいブログ

日常に優しさとユーモアを

ボーカリスト

今日は朝から都内に用事があり、久々に満員電車に乗りました。
 
普段はなかなか乗ることがない満員電車。
もはや日本の朝の風物詩とも言えるかもしれない満員電車。
 
そんな満員電車に戦々恐々と乗り込んでいき、
運良くつり革につかまることができたと安心したのもつかの間、
すぐに人波が押し寄せてきて心も身体も飲み込まれそうになった時
あることに気付きました。
 
その時ぼくは、安心を感じたかったのか、つり革を両手で
必死に握りしめていたのですが、
両手で掴んでいるつり革と自分の頭が同じ位置にあり、
その時なぜか、
 
なんかマイクを両手で掴んで熱唱してるボーカリストみたいだな」
 
ってよく分からない妄想が働きました。
 
※こんなイメージです↓↓

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あまりにもよく分からなすぎて自分でも何考えてるんだろー
って思っていたら、今度は、
 
ライブが盛り上がりすぎてお客さんのところにダイブしたらこんな感じなのかな」
 
ってこれまた謎の妄想が拡大し、歌唄いとしての喜びに浸りそうになったところで、
後ろの人のバックがあたり膝カックンしてくれたおかげで現実に戻ってこれました。
 
 
それで、不思議だったのは、ボーカリストになる前と後では感覚が違ったということ。
(正確にはボーカリストにはなってない)
 
満員電車という状況は変わらないのに、ボーカリストになった(と勘違いした)後は
満員であることに対してそんなに不快な気持ちじゃなくなっていた。
むしろ、すっと力が抜けたような感覚ですらありました。
 
乗る前は正直言うと、嫌だなー、混んでなければいいなーとか思っていたんですが、
そういう気持ちも感じながら電車に乗っていて、つり革に掴まっていたら
ふとした瞬間にその気持ちから抜け出した感じがして、
そしたら、ほんの少しだけその状況を楽しんでいる自分がいました。
 
目の前の状況は変わらなくても、自分の気持ちを味わっていたら
その気持ちから抜け出せる瞬間がある、自分がどう感じるかはかえられるんだなって
ことに気付かせてくれた、今日のステージ@満員電車でした^ ^
 
 
◇     ◆      ◇      ◆
 
 
とらわれている気持ちからふっと抜け出す瞬間、視点が変わったのを感じました。
もちろん、ぎゅうぎゅう詰めが好きなわけではないし、できれば避けたいなとは思います。
ただ、どれだけ頑張っても自分1人でその状況は変えられない。
状況は変えられないけど、自分がどう思うかは選べるんだなぁってことを
教えてくれた気がします。
 
嫌だなーとか、やりたくないなーとか、思ってもいい。
そんな時は、その気持ちを味わいながら、空を見上げるか、
つり革を両手で掴めば、一瞬だけでも
その気持ちから抜けられるかも?
 
今日のライブに来てくれたみんなにありがとー!!
 
とお伝えしたくなる朝の出来事でした^ ^
(気持ちはいまもボーカリストとして勘違いしたままの自分を
受け入れ認めゆるし愛しています・笑)
 

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読んでくださりありがとうございました^^
 
マサ