りんごが教えてくれたこと
ぼくの実家はりんご農家ということもあって、我が家にはりんごがたくさんあります。
収穫の時期に市場に出すもの、出さないものと分けられ、市場に出されなかったりんごたちが我が家に残っているのですが、
市場に出されなかったりんごたち、彼らは、傷があったり、つるという部分が無くなっていたりと、ほとんどが見た目が理由で残っています。
先日、我が家のりんごを食べたいと言ってくださる方がいて、いま残ってるのは傷が付いたりしてるものばかりですよと説明しましたが、それでも良いと言ってくださいました。
そして、その方に渡すためにバックにりんごたちを詰めている時にぼくはハッとしました。
ぼくは、傷付いたりんごたちを当たり前のように、”傷が付いているからダメ”という目線で見ていることに気付きました。
傷が付いていようが、味はとっっっても美味しいと分かっているのに、人に渡すときに見た目を気にして、いつの間にか傷が付いていることはダメというふうに見てしまっていました。
でも、傷が付いているのってダメなことなんだろうか?
これがヴィンテージのジーンズだったら、傷でさえも価値になることだってあるし、あえてダメージ加工させる洋服だってある。
傷が付いているのって本当にダメなことなんだろうか?
傷付くのって本当にダメなことなんだろうか?
いや、傷が付いていることがダメなんじゃない。
傷付いていたとしても、りんごの中身、甘さであったり、シャキシャキした食感、そういった部分にみんなは喜びを感じている。
ヒトだって同じだ。生きていると傷付くことだってあるけども、その傷によって周りの人の優しさに気付けたり、自分自身を大きく成長させてくれることだってある。
その優しさに気付けたときや自分自身を成長させてくれることによって、誰かのお役に立てたり喜びに繋がることがある。
外側の見た目も大切なことだけど、内側にあるもの、それこそが本当に大切にすることなんじゃないかと、我が家のりんごたちから教えてもらったような気がします。
なんだかますます、りんごたちが好きになりそうです(^-^)/
自分が負った傷も受け入れ、認め、ゆるし、愛することができたなら、その分だけ相手に優しくなれるように思います。
読んでいただきありがとうございました(^ ^)