喜ばれる存在
この前、SEKAI NO OWARI(以下、“セカオワ”)のライブに行ってきたんですが、
それはそれはめちゃくちゃ素晴らしいライブでした。
もうなんか良すぎて、なんて表現したらいいんだろうというほど、
とにかくすんごく良かったです^ ^
セカオワのライブはいつも世界観が素晴らしいんですが、
今回はいつにも増してステージと会場、メンバーとお客さんの一体感をすごく感じ、
オープニングの曲を聴いた瞬間に涙が溢れてきました。
もちろんその曲自体を好きだということはあったんですが、
なんというか、お客さんの喜びとメンバーの喜びが循環し、
その喜びが会場全体を包んでるような感覚を感じて、
「あぁ、ぼくも喜ばれる存在になろう」
という想いが湧き上がってきました。
「喜ばれる存在になる」とは、どういうことだろう?
それはきっと、自分の本心に寄り添い、自分で自分の内側を満たすことであり、
自分から溢れてくる喜びを元にした生き方のような気がします。
まなゆいでは、“自分を生きるまなゆい”のフレーズがあるんですが、
自分を癒し、クリアな状態から出てきた想いは自分だけでなく
周りの人にも良い影響を与えてくれるし、その自分になっていくことで
自然と喜ばれる存在になっていく姿をたくさん見てきました。
そしてなにより、周りにいてくれる大切な人たちが嬉しそうに
喜んでいる姿を見るだけでこっちも嬉しくなる、応援したくなる。
セカオワのライブでの一体感はまさにそういう世界観でした。
「喜ばれる存在になる」
こう決めたら後は向かうだけ。
…とは言っても、いざ向かうとなると
恐れや不安、焦りも出てくるかもしれません。
でも、その気持ちもちゃんと味わうことで、恐れや不安、焦りが
自分に何を伝えたかったのかメッセージを受け取ることができ、
本当の望みに気づいていける。
悩んだことも気づいたことも、その過程で起こるすべてのことが
すでに出逢った人やこれから出逢う人の道標となり、喜びに繋がり、循環していく。
ぼくは、そういったすべてを含んだ喜びの循環の中を生きていきたい。
だから、ライブで受け取った自分自身への誓いのようなメッセージ、
その想いをまなゆいで宣言したいと思います。
「ぼくは喜ばれる存在として、喜びの循環の中で生きていることを受け入れ認めゆるし愛しています^ ^」
◇ ◇ ◇
ほんとは、なろうとしなくても、誰もがそこにいるだけですでに喜ばれる存在なんだと思います。
もしぼくがどんだけ落ち込んでたとしても、我が家の愛犬はいつもと変わらず、
帰ってきたら全身で喜びを表現してくれる。
両親や家族だって、愛犬のように全身で表現といかないまでも(笑)、
きっと喜んでくれる。
いま、この瞬間まで過ごしてきて、誰からも喜ばれなかった人っていないはず。
例えば、ただ電車に乗っているだけなのに、その時持っていた鞄を見た誰かが
「あの鞄たしか雑誌に載ってた!やっぱりいいなぁ」
と感じて、店に行って買えた時に嬉しい気持ちになる。
直接的でなくても、知らず知らずのうちに、そこにいるだけでも
誰かの喜びのお手伝いをしていることがあると思うんです。
だから、無理に自分を犠牲にしてまで誰かを喜ばそうとしなくても、
自分が感じる思いや感覚を大切にし、いまできる範囲で少しでも
自分自身が望む自分として生き、その自分から溢れた喜びで誰かを
包むような生き方をしたい。
ステージの上で楽しそうに演奏をしているセカオワのメンバーから感じた
この気持ちを大切に、毎日を過ごしていきたいなと思う、2月のはじまり。
読んでくださりありがとうございました^^
マサ